インプラント 矯正 審美歯科 レーザー治療 フッ素について解説しています

院長室から

理由は受験を控えた夏休みに虫歯の治療に行って歯医者さんから「説教された」からです。

 子供の時から甘いもの好きで虫歯がたくさんありました。なにしろ、昭和30年から40年台にかけては日本の子供の虫歯が一番多かったころです。歯が痛くなるたびに近所の歯科医院で治療だけしてもらっていました。でもまた、すぐに虫歯を作っていました。友達も皆同じような状態でしたので、そのころは、まあそんなものだろうとしか考えていませんでした。幼稚園の頃、夜中に眠れないほど歯が痛くなって近所の歯医者さんに治療してもらった覚えもあります。

 18歳の時、右上の奥から3番目の歯がひどく痛くなってきました。今、考えると歯髄炎を起こしていたのだと思います。たまたま、その時は近所の歯医者さんには行きませんでした。それは祖父から「自分が通っている歯医者さんが上手だから」と勧められ、バスで20分ほどの熊本市の中心部の歯科医院に通う事にしたからです。

 予約の日に診療室に行くと、先生が口の中をを診査してくださって、レントゲンを撮影してもらい、痛いのはいやだなぁとドキドキして身構えていたら、いきなり先生に怒られました。

「君はせっかくの永久歯をこんな状態にして。もったいない!」

 それまで、他の歯医者さんでは治療はしてもらっても怒られた事はありませんでしたので、びっくりしました。でも、その先生が本当に「歯を削るのは惜しい」「もったいない」と思われている真摯なお気持ちがひしひしと伝わってきました。当時の私は生意気盛りの年頃でしたが、まったく、反発心など感じなかったのを覚えています。それからプラークコントロールの重要性などについて先生や衛生士さんから丁寧に説明をしていただき、虫歯の治療と平行してブラッシングの指導もしていただいて治療を終了しました。

 18歳の当時の私はその先生の歯科医師という職業ではなく、人間性に憧れを感じました。そして、自分もその先生のような歯科医師になりたいと思いました。一週間ほど一人で悩んだのですが、ある日、意を決して両親に歯学部を受験したいと打ち明けました。当時、私の父は個人で設計事務所を開いていました。私は漠然と工学部の建築科に行って父と一緒に仕事をするつもりでいましたし、父もそれを望んでいる事は良く分かっていました。結局、父にはかなり反対されたのですが、叔父に頼んで両親を説得してもらい志望校を工学部から歯学部に変え、学部開設の第一期生として長崎大学の歯学部に入りました。

 その先生は今もお元気で診療をされています。歯学部に入学した後、定期検診も兼ねて診療室へご挨拶に行ったときは、とても喜んでくださいました。以来、開業する際の心得や歯科医師としての勉強の方法などを教えていただき、公私にわたってお世話になっております。

 私もいまではその当時の先生の年齢を越えてしまいました。その先生のような歯科医師になれたかどうかを自問しても自信はありませんが、18歳のあの日、歯科医師になることを決めたそのときの気持ちを忘れずに診療を続けたいと思っています。

院長 前田英俊 略歴

1960年 福岡市で生まれる
1979年 県立熊本高校卒業
  熊本県立熊本高校の公式HP
  江原会のホームページ
  伍四会のホームページ 熊本高校昭和54年に卒業生のHP
1986年 長崎大学歯学部卒業

  長崎大学歯学部のホームページ
  長崎大学歯学部同窓会のホームページ

1990年 長崎大学歯学研究科大学院終了 歯学博士の学位を授与される
  専攻 顎咬合学特論(歯科矯正学)
  学位論文の抄録

1990‐1993年 米国ネブラスカ州クレイトン大学医学部 硬組織研究所助手
  クレイトン大学のHP
  この当時の論文

1993-1996年 増田歯科医院副院長

1996年 4月 前田歯科医院開業 現在に至る

ICOI(国際インプラント学会)認定医

趣味・その他は院長の極私的ブログをごらんください。